オートリクシャーに拉致される
昨夜は疲れて早く寝たので、朝早いであろうと思われる時間に目が覚める。というのも時計を忘れてきてしまったため、時間がわからないのだ。テレビをつけインド版NHKニュースを探すと、やはり画面下に時間が出ていた。もうすぐ7時だ。ホテルは朝食つきだったのでお湯が出るかチェックをした後、シャワーを浴びてレストランへ向かう。
バッフェの朝食は、コーンフレークとショボいトースト、ナン、後はヨーグルトとドリンクからのチョイス。ジュースがあったがパスタソースみたいな缶に入っていた。あまりのショボさに外で食おうと諦め、紅茶とコーンフレークを食い、レストランを出る。今日はデリーを終日ブラブラしようと思っていたので荷物をまとめて9時前にチェックアウトする。
ホテルの前にいた兄ちゃんに「ニューデリー駅はどっちだ」と聞くとオートリクシャーがやってきて、駅まで20ルピーという事で乗り込む。そしてコレが自分のその後3日間の運命を決めることとなる。
オートリクシャーのオヤジは自分がまだインド初日だと聞くと「デリーの最新地図をもらえる観光組合に行こう」「タダだ」「駅まで行く途中だ」「料金は変わらないから」などのトークを連発。しかもわざわざガソリンスタンドに停めて懇々と説明をする。あまりのクドさに「わかった、地図もらうだけだぞ、タダで」と行くことにすると、案の定ツアー会社の前で降ろされる。地球の歩き方に「デリーでオートリクシャーに乗ると必ずツアーデスクに連れて行かれ、高額なツアーに連れて行かれる破目になる」と書いてあったが自分も早速その通りになる。
価格を聞いてボッタくりなら断ればいいか、これも経験だ。などと思い個室に入る。中ではフセインのようなひげのオヤジが待っており、「日本人か」と聞かれ「そうだ」と答えると、フセインは日本語でしゃべり出す。しかもぺらぺら。HISから来たツーリストの名簿やファックスを見せ「HIS知ってますか?ここの仕事私がしてマース」と日本人のパスポートのコピーをデンと出してくる。ここまではマニュアル通りだ。
そしてフセインは自分の旅行の日程を聞いてくる。3日目の夜にアーグラーからバラナシへの寝台列車を予約してあったので、それまでの間ジャイプールを見たらどうかと、その魅力を力説するフセイン。ガイド付きの車を用意するという事だったが「電車で行けばいいじゃん」と言うと、「途中で停まって写真も撮れマース。電車では無理デース」「インドは田舎が素晴らしいデース、ぜひ途中の田舎を見て下サーイ。」「デリーは東京みたいなもので、帰る前に見れば充分デース」と俺のスケジュールを完全に把握している。最終日は一日デリーを見れるようにしてあったのだ。そして、これまでフセインに勧められてツアーへと旅立った日本人からのお礼の手紙を取り出し事例攻撃。確かにフセイン宛のお礼の手紙である。が、日付けが全て1999年。
ちなみに価格を聞くとデリー~ジャイプール~アーグラー間の移動とガイド、二泊分の宿泊費、寝台列車の駅までの送迎付きで190ドル。「たけーよ。」というと、一年間池袋に住んでいたというフセインは日本語で熱く語る。以下原文「あなたは日本で一生懸命働いて稼いだお金を、もっと自分のために使うべきじゃないですか?私は日本のビジネスマンがどれほど働いているか知っています。インドには次いつ来れるかわからないですね、もしかしたらもう二度と来れないかもしれない。だから田舎の方を、本当のインドを見てもらいたいんです。」というキラートークに敗れハンコを押す。
フセインはさらに「あなたネパール人に似ているが、その服はモロにジャパニーデスね。インド人の着る服にすれば、物売りも近づきまセーン」と隣にあったクルター屋(その他みやげ物も販売)で買うといい、インドでは物を買う時は交渉しなくてはいけまセーン。などともっともらしい話で案内する。もうこうなったら乗りかかった船だと思い、上下セット750ルピーを2セット1000ルピーで買う。早速そのうちの1枚を着るが、インド人は誰も着てねーよ、こんな服。日本の着物とかと同じじゃないのか、もしかして。
というわけで、ガイド氏と2泊3日の車の旅が始まる。地図では近いがインドは広い。まずはジャイプールまで250キロの旅だ。スズキのエスクードで2人、約3時間半。途中でメシを食い、ひたすら走る。途中いろいろな小さい町を通り過ぎる。やはり彼もクラクションをバビバビ鳴らすが、トラックの後ろにHORN PLEASEと書いてあるところを見るとこれがインドのスタンダードらしい。
ガイドをしてくれるインド人は、ジョギンダという名前で、30歳(子供一人)だそうである。「お前はいくつだ」と聞かれ32歳だと答えると「なにーー!」と驚いていた。どうやら自分より年下だと思っていたらしい。日本では実際より年上に見られるがインドでは若く見られるようだ。