恐るべしシーク教の祭り
バラナシからデリー行きの国内線は何本かあるが、JETエアラインという航空会社だった。空港内で初日にバラナシのホテルで会った大阪人2人に再会した。彼らは2日目以降、熱が出たり、腹痛に見舞われ、ずっとホテルで寝ていたらしい。
出発に際しセキュリティーチェックがあったのだがこれが厳しいのなんの。荷物はX線検査の後、乗客全員のバッグの中身を全て出し「これは何だ?」とチェックが入る。自分の前のアメリカ人は薬の中味までチェックされ苦笑いしていた。石などは持ち出し禁止で、全て取り上げられる。自分もアーグラーで買った大理石のコースターを「中身を見せろ」と割れないようにぐるぐるに梱包してあったにも関わらず、その場で開けられ、その後係員が適当に縛りなおすという不条理なチェックを受ける。X線検査の意味はあるのか。しかし、鞄にラーマーヤナが入っていたのが幸いしてか、他の乗客ほどの激しいチェックはされず、カメラの替えの電池をとられた。
機内の食事はタンドリーチキンと豆をつぶして揚げたもので、まあまあうまかった。とても無愛想なスチュアーデスとの短いひとときの後、デリーに到着。復讐戦だ。まずは宿を確保せねば。国際線の出口とは違い、悪質オートリクシャーの姿はあまりない。その辺にいた空港の従業員に「街中まで一番安い行き方は?」と聞くとプリペイドタクシーが一番いいだろうとの事で、ガイドブックで調べた適当な宿の名を告げ135ルピー払う。
土曜日の夕方だったので道の込み方がハンパじゃなく、ニューデリーのメインバザールまで1時間以上かかる。近くまで来たが、何かのフェスティバルがあるらしく、道が通行止めになっていた。全く車が動けなくなってしまったため、タクシーの運ちゃんから「スマンがここから歩くか、リクシャーで行ってもらえないか」と言われ、そこで降りる。ホテルもまだ決めていなかったので歩くことにする。
どうやらシーク教のお祭りの日だったらしく、ものすごい人だ。花で飾られた何十台ものトラックが連なって街中を走り、至るところで何と食い物や飲み物をタダで配りまくっている。そして、頭にターバンを巻いたタイガージェットシンのようなシーク教徒たちがパレードしていた。お祭り好きの自分は思わずニヤニヤしてしまう。歩いているとチャイやチャパティなどを自分にもくれる。本日の夕食代が浮く。
パレードの途中途中で、数人の子供達がサーベルを振り回しながら踊っていた。写真を撮るとその少年達がドドドッとこちらに駈けてきた、やべっ、バグシーシ軍団かと思ってっていると、次々と握手を求められ「どこから来た」「日本大好き」などと口々に叫び、「んじゃ」と嵐のように去っていった。
人間、食欲が満たされると労働意欲がなくなるのか、デカいリュックを背負い、いかにも今日来たばかりの旅行者の自分に声をかけてくるインド人は一人もおらず。これだけの人達の胃袋を満たすとは、恐るべしシーク教。
ガイドブックで調べたホテルを2~3あたるが、部屋は空いておらず、空いている部屋もショボい割には高い。デリーを発つのが明日の夕方なので朝チェックアウトしなければならないホテルは困る。なかなかここだというホテルが見つからぬまま、あたりもすっかり暗くなってしまう。早いところこのクソ重い荷物を何とかして、祭りに参加せねば。
そのあたりでパレードを見ていた服屋の店員の兄ちゃんに、どこかいいホテルがあるかと尋ねると、「ハレラマゲストハウスがいいぜ、サービスも価格もグッドだ」と言われ早速そこに向かう。24時間制で180ルピー。部屋は安い日本のラブホテルのようだが、まあきれいで、自分のようにデカいリュックを背負った西洋人の客が多い。弱っちそうなマネージャーの腰は、インド滞在中に会ったどのインド人よりも低く、ここに決める。
荷物を部屋に置き、再度祭りを見に行く。タダのチャイを飲み、牛グソトラップに何度もコケそうになりながら、夜のニューデリーを歩く。やはり祭りはいい。GURDWARA SRI GURU SINGH SABHAといたるところに書いてあった。
が、日本では祭りにつきものである酒はどこにもない。宗教上の戒律なのだろうが、これだけの人が酒飲んで酔っ払ったらエライ事になるわな、などと考えながら大通りを歩いていると、何とあるではないか、酒屋が。しかも、ものすごい客の数だ。大繁盛。自分と同じように祭りにゃ酒だと思っているインド人が多いのかと思いきや、みんな買った酒をポケットや服の中に隠し持ってコソコソ歩いてゆく。
日本の祭りのようにビール片手に歩いている人など一人もおらず、仕方なく自分も買ったビールをポケットに入れてホテルでコソコソ飲むことにする。歩き疲れたからか、小ビン半分でベッドにダウンしてしまう。