HOME
デリー
デリー〜ジャイプール
ジャイプール
アーグラー
バラナシ初日
バラナシ2日目
バラナシ3日目
シュラヴァスティ初日
シュラヴァスティ2日目
バラナシ再び
デリー再び

あなたから愛を込めて


THIS IS THE LIFE

車両連結に時間がかかった割には、10分遅れの4:40にバラナシの駅に到着する。駅ではシヴァとヴィーノが待っていた。自分は昨日バラナシに戻ってくると伝えてあったが、移動時間が予想以上だったのと列車の時間が無かったため、昨日夕方にシヴァの友人の経営するホテルに電話で伝言を伝えておいたのだが、シヴァ達は既にその日の朝には駅で待っていたそうで、伝言を聞いていなかったらしい。つまり、丸1日駅で待っていたということになる。悪いことをした。

とりあえずディポジットを入れてあるホテルへ。今日の夕方に飛行機でデリーへ向かう予定だったため、宿泊費をディスカウントしてもらい、シャワーだけ浴びる。マークは別のホテルを予約してあったのでアドレスを交換してここで別れる。
夕方まで時間があるので、最後にもう一度ガンガーを見たいと連れて行ってもらう。途中の通りにパプーがいた。今日は他の観光客がとれなかったらしく、自分を見つけ「舟に乗るか」と聞いてきた。ガートから見ているつもりだったが、「お金の事なら心配いらないから乗っていけよ」という言葉に甘える。

まだ暗かったので牛グソトラップでこけそうになりながらガンガーへの細く暗い道を歩く。この時期、ガンガーからの日の出は6時頃。まだ少し時間があったのでチャイを飲む。パプーはガートでもお客を探していたが見つからなかったようで、結局また貸し切りボートとなる。シヴァと3人で朝焼けのガンガーを漕いでゆく。岸では朝もやの中おっさん達が野グソしている。そしてガンガーの水でケツを洗う。シヴァはそれらを指差して言った。「Look. This is the life!」

舟を降り、さすがにタダは申し訳ないと思い、パプーにチップを渡そうとすると、彼は「いや、いらない」と頑として受け取らなかった。

パプーは「お金は水のようなもので、留まることなく流れてゆく、でも友情というのはグラスのようなもので、一度壊れてしまうともう元に戻すことができない。またいつかここに来てくれればそれでいいと思っている」と逆にチャイと朝食のビスケットをおごってもらう。

またいつか会おう。とガンガーを後にする。帰り際の道で花紀京を見かける。彼はなぜか野菜を売っていた。
牛グソ地雷で危険なガート裏の暗い道。

子供達。屋上で宿題していた まだ時間があったので、シヴァの「俺の家で飯食っていけよ」という言葉に甘え、ヒンズー2号でうねうねした細い道を走り、バラナシ駅近くの住宅街にある彼の家に向かう。ほとんどの家がレンガで建てられており、地震があったらどうすんだ、といった造りである。。

彼の家もレンガ造りの3階建てで、別の一家が間借りして住んでいた。家族は妻、息子1人、弟とその妻と息子、妹、母親、ばあちゃんと大家族である。3歳になる息子はあまり家に帰ってこない父親に怒っているそうで、この日もちょっと不機嫌。屋上のテラスに行くと間借りしている家の子供達が算数の勉強をしていた。シヴァは息子と一緒に凧揚げしていた。家ではいいパパのようである。

昼になり、シヴァの奥さんの手料理をご馳走になる。シヴァ、ヴィーノと3人、屋上で食う。プーリという揚げたパンにカレーをつけて食べるのだが、コレがウマい。インド家庭の味。道路脇の屋台は衛生上よくないということで、彼ら自身もあまり食べないらしい。「家のが一番」と言っていた。

シヴァの家に来た観光客は自分が初めてだそうで間借り一家が珍しそうに見くる。その屋上からはバラナシ駅に入ってくる列車が見えて、シヴァもヴィーノも「あの列車はボンベイ行きだ」「あれはカルカッタへ向かう列車だ」とほぼ完璧に覚えていた。それもまた彼らの仕事の一部なのだろう。天気もよく、横になってゆっくりしたいくらいだったが空港で時間がかかるそうで、早目においとまする。
食後のひととき。ヴィーノと
バラナシ空港までは結構遠い。ヒンズー2号は連日の激しい運転により、かなり疲弊しており、空港までの道のり何度かエンジンが止まりそうになっていた。空港前でこれまでのチップを渡し、ヴィーノには彼が欲しがっていたユニクロのパーカーをあげた。

ありがとうヒンズー2号、そしてバラナシのナイスガイたちよ。また会う日まで。

デリーでの祭り


デリー行きの国内線は何本かあるが、JETエアラインという航空会社だった。空港内で初日にバラナシのホテルで会った大阪人2人に再会した。彼らは2日目以降、熱が出たり、腹痛に見舞われ、ずっとホテルで寝ていたらしい。

出発に際しセキュリティーチェックがあったのだがこれが厳しいのなんの。荷物はX線検査の後、乗客全員のバッグの中身を全て出し「これは何だ?」とチェックが入る。自分の前のアメリカ人は薬の中味までチェックされ苦笑いしていた。石などは持ち出し禁止で、全て取り上げられる。自分もアーグラーで買った大理石のコースターを「中身を見せろ」と割れないようにぐるぐるに梱包してあったにも関わらず、その場で開けられ、その後係員が適当に縛りなおすという不条理なチェックを受ける。X線検査の意味はあるのか。しかし、鞄にラーマーヤナが入っていたのが幸いしてか、他の乗客ほどの激しいチェックはされず、カメラの替えの電池をとられた。

機内の食事はタンドリーチキンと豆をつぶして揚げたもので、まあまあうまかった。とても無愛想なスチュアーデスとの短いひとときの後、デリーに到着。復讐戦だ。まずは宿を確保せねば。国際線の出口とは違い、悪質オートリクシャーの姿はあまりない。その辺にいた空港の従業員に「街中まで一番安い行き方は?」と聞くとプリペイドタクシーが一番いいだろうとの事で、ガイドブックで調べた適当な宿の名を告げ135ルピー払う。
土曜日の夕方だったので道の込み方がハンパじゃなく、ニューデリーのメインバザールまで1時間以上かかる。近くまで来たが、何かのフェスティバルがあるらしく、道が通行止めになっていた。全く車が動けなくなってしまったため、タクシーの運ちゃんから「スマンがここから歩くか、リクシャーで行ってもらえないか」と言われ、そこで降りる。ホテルもまだ決めていなかったので歩くことにする。
どうやらシーク教のお祭りの日だったらしく、ものすごい人だ。花で飾られた何十台ものトラックが連なって街中を走り、至るところで何と食い物や飲み物をタダで配りまくっている。そして、頭にターバンを巻いたタイガージェットシンのようなシーク教徒たちがパレードしていた。お祭り好きの自分は思わずニヤニヤしてしまう。歩いているとチャイやチャパティなどを自分にもくれる。本日の夕食代が浮く。

人間、食欲が満たされると労働意欲がなくなるのか、デカいリュックを背負い、いかにも今日来たばかりの旅行者の自分に声をかけてくるインド人は一人もおらず。これだけの人達の胃袋を満たすとは、恐るべしシーク教

パレードの途中途中で、数人の子供達がサーベルを振り回しながら踊っていた。写真を撮るとその少年達がドドドッとこちらに駈けてきた、やべっ、写真マズかったか、とびびっていると、なぜか次々と握手を求められ「どこから来た」「日本大好き」などと口々に叫び、「んじゃ」と嵐のように去っていった。何だったのだろうか。
右も左もタイガージェットシン

ガイドブックで調べたホテルを2〜3あたるが、部屋は空いておらず、空いている部屋もショボい割には高い。デリーを発つのが明日の夕方なので朝チェックアウトしなければならないホテルは困る。なかなかここだというホテルが見つからぬまま、あたりもすっかり暗くなってしまう。早いところこのクソ重い荷物を何とかして、祭りに参加せねば。

そのあたりでパレードを見ていた服屋の店員の兄ちゃんに、どこかいいホテルがあるかと尋ねると、「ハレラマゲストハウスがいいぜ、サービスも価格もグッドだ」と言われ早速そこに向かう。24時間制で180ルピー。部屋は安い日本のラブホテルのようだが、まあきれいで、自分のようにデカいリュックを背負った西洋人の客が多い。弱っちそうなマネージャーの腰は、インド滞在中に会ったどのインド人よりも低く、ここに決める。
ヨーロッパ人多し。ハレラマゲストハウス
荷物を部屋に置き、再度祭りを見に行く。タダのチャイを飲み、牛グソトラップに何度もコケそうになりながら、夜のニューデリーを歩く。GURDWARA SRIGURU SINGH SABHAといたるところに書いてあった。シーク教の教祖の生誕何年祭なのだろうか。やはり祭りはいい。
が、祭りにつきものである酒がどこにもない。まあ、これだけの人が酒飲んで酔っ払ったらエライ事になるわな、などと大通りを歩いていると、何とあるではないか、酒屋が。しかも、ものすごい客の数だ。大繁盛。自分と同じように祭りにゃ酒だと思っているインド人が多いのかと思いきや、みんな買った酒をポケットや服の中に隠し持ってコソコソ歩いてゆく。
日本の祭りのようにビール片手に歩いている人など一人もおらず、仕方なく自分も買ったビールをポケットに入れてホテルでコソコソ飲むことにする。歩き疲れたからか、小ビン半分でベッドにダウンしてしまう。